エースサイクル店長の独り言です。
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  鳴渡観音

鳴渡観音<ナルトカンノン>です

鳴門観音ではありません、、、

秋月氏が秀吉軍に降伏し日向財部へ移封されたのち

ここへ移封された黒田の殿様が惠利暢堯こそ、これぞ武士の鑑だとし

ここに鳴渡観音を祀り霊を慰めたのです。

鳴渡観音と呼ぶのはこの前の小川のせせらぎが

響いているからです。

丁度この石段の下が小川です。
 鳴音観音
 
秋月の腹切石の先のある鳴音観音です。

来られたらわかるのですが、

このお堂の前に小川が流れていて

小川のせせらぎの音が心地よく

響くので鳴音観音と、、<鳴門観音ではありません>

ここは、腹切石で切腹した惠利暢堯とその一族を

祀るための神社なのです。

一族郎党が主をしたってお互い数十人が喉を突いて

自決したというお話。で、

お堂の回りに自決した人数のお地蔵さまが、、、

ただ、疑問も残るのです、いくらなんでも

30人以上も集団で自決するのか?

自分はもしかして、敵の秀吉軍と内通し、蜂起を恐れた

城主「秋月種実」が葬儀の時、急襲した可能性もあるかなと思います。

秀吉の軍師「黒田官兵衛」は敵を内側から切り崩す天才だからです。

まあ、いまからは検証できませんが?歴史は謎だらけ?

、、、静かに手を合わせ冥福を祈ります。
  腹切石

秋月の腹切石です

戦国時代末期、九州のほとんどを島津軍に

占拠され抵抗していたのは大宰府の上の岩屋城に

立てこもる高橋紹運と立花城にこもる息子<立花家に養子へ>

立花宗茂のみ。で、島津軍と同盟を結んでいた秋月種実は

家老の恵利暢堯に敵対する豊臣軍の先方を任された毛利軍に

偵察に行かせます、、で、毛利軍は秀吉軍の強大さを

丁寧に暢堯に説明し、、降伏を勧めます。

で、秋月に戻り城主、秋月種実に事情を説明しますが

天下の情勢にうとい秋月種実は家老の惠利暢堯を

臆病者とののしり、、武門の名誉を汚されたと

恥じた暢堯はこの岩の上で切腹、、奥さんも喉を突いて自害

悲しい場所なのです。きれいな場所ですが観光客、、

いままでに数人あっただけです。

また、大宰府の岩屋城に立てこもった高橋紹運は数万の大軍に囲まれて、

わずか1000人くらいの兵で持ちこたえますが、最後の一兵まで戦い

<大宰府の頂上付近にお墓があります>

その間に豊臣の10万以上の大軍が北九州と大分に上陸し、

島津の九州制圧の野望は潰えます、、

で秋月氏も降伏し日向の財部移封されるです。

戦国史は面白いです。
坂本龍馬のお墓

霊山護国神社の階段を上がると

やっと、坂本龍馬と盟友の中岡慎太郎の

お墓が、、あります、、

静かに手をあわせます。

ここから京都が一望できます。

この先に桂小五郎<木戸孝允>と愛妻、芸者の幾松<イクマツ>の

お墓があるのですが、、暑いので、、パス

で、木戸孝允、萩の乱、、つまり騎兵隊解散事件で

仲間を見殺しというか木戸本人が鎮圧したので

地元萩では人気最低で京都にお墓が。

また、奥さんの幾松さんは新撰組に追われた木戸を

裸になって新撰組の前に立ちはだかり木戸を助けたのが

有名なお話ですね、、しかし、地元で木戸は本当に、、、。
霊山護国神社の坂

ウナギを食べた後、元気を出して、

霊山護国神社へ坂本龍馬と中岡慎太郎のお墓へ

お参りするために、、このきつい坂を上ります

正直、数年前までは愛車BD-1で一番上まで

登れたのですが、今回が一番早く鳥居の手前で脱落<泣き>

暑いし、きついし、風がない、、、ムムム

ただ、本当は体重が5キロ増えたせいかなと。

左の写真の奥に鳥居が見えます、で、さらに右の写真の

奥の左が霊山護国神社です
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