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      濡れ衣塚

墓参りの後、市内をサイクリング、、、

ここは石堂川沿いにある、濡れ衣塚です

正月のお参りに、、、伝説では、

継母から無実の罪をきせられて

父親から切り殺されたかわいそうな

実話のお話、、それが「濡れ衣を着せる」という

諺になったのです、、とか、、祖父母に教えられたのですが、、

少し間違って解釈していたのです。

漁師の着物を盗んだと聞かされていたが、

本によると、寝室に漁師の着物が、で、

父親は娘が漁師と不義をしたとか、、と、思って、、、、、

子供に不義密通?は難しいと思ったのでしょうね。
 二尊院 NO,2

二尊院のお堂から先に階段が、、

この階段、けっこう急な階段で

疲れますよ。愛車のBD-1は門の前に鍵を

かけて入りましたので、、まだ楽でしたが。

この階段の上からは嵯峨野が一望できます。

また、藤原定家の有名な小倉山と松の句碑も、、

拝観料は500円でした、、できたら紅葉の時期に

また来たいですが、、、出張が、、、今年は厳しいか?
平野國臣の墓と碑

霊山護国神社の一番奥に平野國臣、のお墓と碑?があります

そう、福岡藩士で最初に討幕の兵をあげた

人物です、、数日で敗れ幕府にとらえられ処刑されました。

処刑されるときの句が

「わが胸の 燃ゆる思いに くらぶれば 煙はうすし 桜島山」

この句は薩摩、、特に西郷隆盛にあてた句といわれています

討幕は薩摩が行動を起こさなければできないから

この討幕の熱い思いが薩摩の起爆剤になってくれとの、、句です。

ただ、ここでも、また地元福岡でも誰もお参りの時

他人と会ったことはありません。歴史を揺り動かした

人物なのに、、少し、、いやだいぶ寂しく思います。

一人静に手を合わせます。
木戸孝允の墓

木戸孝允のお墓は霊山護国神社の坂本龍馬の

お墓のさらに上にあります。

木戸孝允、、幕末の頃まで桂小五郎といっていましたが、、

逃げの小五郎という悪名が付いて回り、、

<それで改名したとか、、の噂も>

たとえば愛人、のちに本妻になる芸者、幾松さんが

裸になって追手から守られたとか、、、いつも逃げてばかり、ムムム

また、明治になり、萩の乱のとき、仲間の助命嘆願を政府の要職に

あったのにこれを無視し、、昔の仲間を見殺し、、

で、地元では、評判が悪かったとか、、

で、お墓も地元の山口になくてここに、、、

いつも、誰一人観光客来ませんネ、、今回も<笑い>

右が幾松さんのお墓です、、当然一人静かに手を合わせます。

そうです、亡くなった後何人お参りに来られるかで、、

その人物の業績がわかるのです、、では、今の総理の

50年後は、、歴史がこのオボッチャマをどう判断するか

楽しみです、、当然自分も死んでいるだろうから、、ムムム
 腹切石

戦国末期、九州はほとんど島津軍とその仲間に占領されていた時代

、後、敵対していたのは大分にいる大友本家、<ここも落城寸前>

と北部九州は、大友家の北部方面軍の立花城と岩屋城のみ、

で、立花城に籠城するのは立花宗茂<その後、柳川城主>と

大宰府の岩屋城に籠城するのは、宗茂の実の父である

高橋紹運の2城のみ、、、で、そしてここで秋月氏の秋月種実は

家老の惠利暢堯に、毛利氏へ視察に行くように命じます。

毛利氏はすでに豊臣軍団の配下で惠利暢堯は豊臣軍の巨大さに圧倒され

主君、秋月種実に降伏を進言しますが、逆に臆病者とののしられ

武士の面目を潰され、この石の上で切腹し、さらに奥さんと一族郎党みな、

たがいに喉を突き刺し自害その数30人以上、、

これを祀る鳴渡観音が腹切石の先にあります。

で、その後、大宰府の岩屋城は全員戦って討死に、、、しかし、ここで

時間をとられた島津軍は豊臣軍を上陸させてしまいその後敗走。

秋月氏も降伏しその後、日向の財部城へ減俸され移封。

で、その後、ここの新しい領主になった黒田の殿様が惠利暢堯を、

まさに武士の鑑として一族の霊の安らかならんことを

願い鳴渡観音を建立したのです。悲しい物語の場所なのです。