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   濡衣塚

DSC00817_copy.jpg 道雪さんを、お参りした後

濡衣塚へ、、、、、

石堂川沿いにある、小さな塚です。

ただ、自分の子供のころは、今の場所と

違い、たしかお寺の横にあったと、、、、。

噂の事件が起こらなかったのは、このお姫さんのご加護ということにして、、

今日も、手を合わせて、、、、

      石堂川

濡布塚の右手にみえるのが石堂川です

自分が子供のころ、このあたりから不法建築の密集地でした

で、市と県はこれを撤去しようとして、、、

当時のこの担当者さん、ほんとうに苦労なさったと、、、

自分の友人もこの町に何人も、、、

で、すごいお話もあるのですが、、、さすがに、、、

載せるのをためらう、、、ほどの、、話です

     立花道雪

DSC00815_copy.jpg 昨日は、墓参りの後、少し遠回りして

立花山の南にある、梅岳寺へ、、、、、道雪さんのお参り、

戦国武将で、初代立花藩主、立花宗茂の父、、、

でも宗茂さんは、婿養子、、本当の父親は

高橋紹運、、、、つまり、薩摩藩により岩屋城で全滅した。

すみません、話を元に戻して、、、

立花道雪、大友宗麟の元、九州北部の総大将として、八十過ぎまで戦い

野戦では一度も負けなかった伝説の戦国武将です。

絶対、卑怯なことはしなかったと、、、

ただ、卑怯なことをしなかったぶん、城攻めはいまいち。

しかも、伝説では、ある時、雷にうたれて下半身が麻痺し、

動けない体に、、、でも、輿に乗り、いつも最前線で指揮。

<輿にのって戦かったのは、他には石田三成の親友、大谷刑部くらいか?>

、、、で、、、数万の大内軍や毛利軍にも連戦連勝。

すごい、武神なのでお参りを、、、そのわりにみんな知らない。

そう、雷にあった時持っていた刀を雷切丸といわれていると。

  話を変えて、、、

       関ヶ原の真相

道雪の義理の息子、立花宗茂も父に似て、朝鮮の役で

活躍します、、、当然、野戦において無敗でした。

、、、関ヶ原の戦いの時、伝説では、石田三成に薩摩の

島津義弘が夜襲を進言したのを無視したのは

翌日に無敗の立花軍が関ヶ原に到着するのを待っていたからと、、、

でも、裏切りにあい西軍の負け、、、、立花軍、間に合いませんでした。

で、当然、立花藩、徳川家につぶされてしまいます。

でもその後、他の藩や徳川家の一部に助ける動きがあり

復活、、、関ヶ原でつぶされた藩で復活したのは、立花宗茂の柳川藩のみ。
   

    石舞台

DSC00665_copy.jpg 石舞台の前に少し上り坂がありますが、

本当に、今回、坂はここだけでした、、、。

で、石舞台は蘇我氏の墓といわれていますが、

石舞台の中に高松塚古墳のような絵も描いてないし、、、

どちらかといえば、、、イギリスのストーンヘンジ

、、、のような、、雰囲気が、、この方が面白いかも?

古い方がロマンがあるし。

     三柱鳥居

2cf8db3f.jpeg これが、有名な三柱鳥居です。

でも、これは、京都の太秦にある

蚕の社の三柱鳥居では、なくて、

同じ京都の南禅寺の大寧軒にある

三柱鳥居なのです、、、。

この鳥居は、明治の茶人藪内紹智によってつくられた

庭園の中にあります。

先週三柱鳥居の話をしたので、本当はまだ

飛鳥の歴史探究の話が終っていないのに、、、

翌週メーカーを三社回った後、行った京都の

この話をと思い、、、、。

この鳥居は飛鳥時代から太秦にある

蚕の社を模したといわれていますが、、、、、。

ただ、まねただけなのか?それともこの藪内さんが

ユダヤかフリーメーソンのことを考えて、、、裏を考えてしまう?

     亀石

DSC00658_copy.jpg 飛鳥で一番見たいのは、石舞台ですが

ニ番目は、この亀石です。

この先、亀石とかいてある観光案内の標識をみて

BD-1で走っていったのですが、、、、、

おかしい見当たらない、、、、。

なんと通り過ぎていました、、、、。民家の横に

あったので、、、。この日、気象予報では台風で

奈良は大雨の予報でしたので、、、天気予報が

大きくはずれて、、、観光客、この飛鳥でみたのは

10人もいませんでした、で当然、有名な?亀石にも

誰もいなかったので、、、何故この亀石に興味があったかというと

伝説では、この南西を向いている亀石がもし南をむいたら、

奈良は水没するという伝説があるからなのです、、、。

、、、で、つい最近の地質学者の研究で数千年から一万年前くらい前には、琵琶湖は

奈良にあったという研究発表があったのです、、、、

その後だんだん北へ移動していったと、、、ロマンが

ありますよね?、、、、それが亀石の伝説の元なのかなと、、、?